狛江市ポスティング
狛江市の紹介
狛江市は、東京都の多摩地域南東部にあります。狛江市は、副都心新宿から電車(小田急線)で南へ20分の位置にあります。狛江市の面積は、6.39平方キロメートルで東京都下の中で、26番目の面積を有しています。平成26年2月1日現在、人口77,877人で東京都下の中で内では21番目に人口が多い市になっています。また、平成27年11月1日、狛江市の世帯数は38,959世帯あります。東京都下で狛江市は18番目に世帯数が多い市になっています。鉄道は小田急電鉄が通っています。
東京都の市ではもっとも小さいため、人口密度は武蔵野市に次いで2番目に高くなっています。市内には狛江古墳群と呼ばれる古墳群があります。なかでも最大級の亀塚古墳からは「神人歌舞画像鏡」という中国製の鏡が出土しています。
市の花はツツジ、木はイチョウ。新潟県北魚沼郡川口町と災害援助協定を結んでいます。大学などの教育機関としては、東京慈恵会医科大学医学部国領キャンパス、附属病院があります。同市出身・ゆかりの有名人としては、俳優の小野武彦、女優の紺野美沙子、芸人の近藤春菜(ハリセンボン)、プロサッカーの中田浩二、元宝塚歌劇団の男役トップスター春野寿美礼と芸人の品川祐は中学が狛江三中…。女優の原節子、作家の宮尾登美子、青山光二、SF作家の菊地秀行は、一時期狛江市に住んだことがあります。
狛江市のポスト密度
狛江市のポスト密度とは、狛江市でのポスティング配布効率を算出する上で、ポスティング業者が活用する目安の数値です。その数値は、狛江市の世帯数(=ポスト数の目安)を狛江市の面積で割ると0.00604になります。(1m²あたりポスト数を算出したものです)
その数を東京ドームのグラウンド面積(13000m²)に換算すると、0.00604×13000m²=約78
狛江市では、東京ドームグラウンドの広さの中に、78ポストがあるということになります。
- 平成27年7月 現在
- 狛江市の面積:6.38km²
- 狛江市の世帯数:38,509
- 1m²あたりのポスト数:0.00604
- 東京ドームグラウンドあたり:78ポスト
- 狛江市は東京都下の中で2番目にポスト密度の高い市になります。
狛江市の1時間当たりの平均配布数
経験上、ポスティングスタッフが配布をしながら、徒歩で移動できる面積は、1時間あたりに13000m²で東京ドームのグラウンドとほぼ同じとなります。そのため、東京ドームグラウンドに当てはめたポスト数×ポスティング指数が1時間あたりの配布可能数です。
ポスティング指数とは、今までのポスティング実績値でわり出した数値で、2.5としています。
78ポスト×2.5=195
狛江市の1時間当たり配布できる平均配布数「195枚」になります。
- 狛江市あれこれ
- 狛江市の世帯数・人口
- 狛江市の統計データ
- 狛江市の乗降客数
狛江市の紋章・鳥・花・樹木
狛江市の紋章
昭和45年10月1日に制定されました。
狛江の頭文字である「こ」の字を図案化したものです。中央の白い部分の流線は多摩川の流れを、図案全体として新都市発展途上にある狛江市を表しています。
狛江市の花(ツツジ)
昭和48年4月1日に制定されました。
ツツジというのは総称で、市内にも何種類かのツツジが植栽されています。ツツジ属は日本でも野生種が40種以上あるといわれ、サツキ、ヤマツツジ、モチツツジ、ミヤマキリシマなど主として日本産原種から、さまざまな園芸種が作り出されています。庭木としての代表はサツキという園芸種で、ほかにはキリシマツツジ、ミツバツツジ、レンゲツツジ、オオムラサキ等が植栽されています。
狛江市の樹木(イチョウ)
昭和48年4月1日に制定されました。
街路樹、社寺の境内に植えられる落葉高木で10メートルを超えるのが一般的です。幹の表面は薄いコルク層ができ、裂け目ができるます。枝は葉をまばらに互生する長枝と葉が集まってつく短枝とあり、枝から気根を出すものがあります。雌雄異株で花期は4月から5月、雌株の種は10月頃熟し、肉質の外表皮の中に「ギンナン」が実ります。
(狛江市資料提供)
狛江市の地勢
狛江市の位置・面積
狛江市は、新都心新宿から電車(小田急線)で南へ20分の位置し、東経139度34分53秒、北緯35度37分53秒にあります。狛江市の面積は、6.39平方キロメートルで、東西2.940m、南北3.660mに広がっています。
狛江市の地形
狛江市は武蔵野台地の南縁部に位置し、市域はほぼ台地によって占められています。これら台地面には降雨や水路や河川の浸食などにより、大小の谷地が形成されています。また、南部の多摩川流域には氾濫低地が発達しています。
狛江市の町丁図
狛江市の町名
- 和泉本町
- 中和泉
- 西和泉
- 元和泉
- 東和泉
- 猪方
- 駒井町
- 岩戸南
- 岩戸北
- 東野川
- 西野川
狛江市の歴史
縄文・弥生時代
弁財天池周辺の弁財天池遺跡からは、縄文時代以降の住居跡が多く発見され、人々の生活の痕跡が色濃く見られます。例えば、縄文時代の落とし穴の遺構が発見されていますが、これは、水を求めに来た動物を捕まえるためのものと考えられます。
また、狛江駅北口の開発工事にともなう発掘調査では、縄文時代の敷石住居(しきいしじゅうきょ)という珍しい住居跡が発見されました。さらに、この調査では、弥生時代の方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)、古墳時代の古墳の周溝が発見されています。方形周溝墓は一辺が18メートルもある大きなもので、弥生時代の狛江に、地域における指導的な立場の人物がいたことをうかがわせます。
古墳時代
古墳時代になると、狛江には多くの古墳が築造されました。古墳が多いことから、「狛江百塚」と呼ばれます。ただし、現在、市内で確認できる古墳は13基になってしまいました。
古墳時代は、3世紀の終わり頃から7世紀の初め頃までの約450年間を指しますが、狛江の古墳の多くは、5世紀半ばから6世紀半ばの約100年間に集中して造られました。古墳の形は、円墳がほとんどですが、亀塚古墳は帆立貝形の前方後円墳でした。
狛江における古墳時代の特筆すべきものとして、狛江にてはじめて発見された古墳時代中期の土器「和泉式土器」や平成23年に発掘調査され、狛江における古墳の築造年代等の見直しを迫る猪方小川塚古墳等があげられます。
狛江への古墳築造の文化の伝播に、渡来人がかかわっていたともいわれますが、伝播の流れは定かではありません。古墳築造の文化は、畿内から北武蔵を経由して南武蔵へ伝播し、多摩川をさかのにして広まったものと考えられます。
奈良時代・平安時代・鎌倉時代
古墳時代に続く奈良・平安時代、さらに鎌倉時代の頃の狛江の様子については、あまりよくわかっていません。発掘調査等によって、断片的に知ることができるのみです。こうした中で、古屋敷・相之原(ふるやしき・あいのはら)遺跡(岩戸南三丁目)で発見された、古代官衙(かんが)の遺跡にみられる掘立柱建物の遺構は、この地域が重要な拠点集落だったのではないかと推測させます。
鎌倉時代については、多摩川の対岸の枡形山に源頼朝の重臣稲毛氏が居館を築き、狛江地域も何らかの影響を受けていたのではないかと考えられます。
室町時代・戦国時代
室町時代には、吉良氏が世田谷に領地を持ち、狛江もその影響下にあったと考えられます。さらに、戦国時代になり北条氏が小田原を拠点として関東に勢力を拡大すると、北条氏の影響も受けます。
北条氏が家臣に与えた領地を書上げた『小田原衆所領役帳(おだわらしゅうしょりょうやくちょう)』という史料には、「多波(多摩)川北駒井本郷」や「駒井登戸」、「駒井宿河原」と記され、「駒井」という狛江の地名が確認できます。また、岩戸に吉良氏の家臣の江戸重久という人物がおり、岩戸周辺を支配していたことが史料から確認できます。
また、戦国時代のこととして、岩戸八幡神社の勧請にまつわる伝承があります。
江戸時代
現在の市域は、江戸時代の和泉村、猪方村、岩戸村、覚東村、小足立村、駒井村の六か村にほぼ該当します。狛江は江戸時代を通して畑地の多い農村であり、慶長14年(1609年)に開削された灌漑用水路である六郷用水、昔の野川、弁財天池から流れる清水川等が重要な水源でした。江戸時代後期の戸数は290戸、人口は約1500人くらいだったと考えられます。
関東は幕府直轄領や大名領、旗本領、寺領等が複雑に入り組んだ地域でした。狛江も多分にもれず、とくに和泉村は三給支配といって、彦根井伊家、旗本石谷家、旗本松下家の三家が一か村を三分割して所領としていました。
明治時代・大正時代・昭和時代<
明治政府は、明治2年(1869年)の版籍奉還、明治4年の廃藩置県によって中央集権国家へ向けて動き出し、地方行政の改革も進めていきました。
廃藩置県後、狛江は神奈川県に属し、大区小区制という地方制度により神奈川県第10大区第10小区となりました。明治11年(1878年)の郡区町村編成法により県と各村を結ぶ郡が設置されると、狛江は神奈川県北多摩郡に属しました(後に、北多摩郡は東京府へ移管されます)。そして、明治22年(1889年)の町村制の施行によって、狛江の六か村が合併し、狛江市の前身となる狛江村が誕生しました。
三多摩地域は、自由民権運動の盛んな地域でした。狛江にも、交潤講益社という結社や帝国議会開設後に明治学会というグループができ、自由民権運動やその後の政党政治活動に身を投じる壮士もいました。
日清・日露戦争は、狛江村にも大きな影響を与え、とくに日露戦争は、村を疲弊させていきました。日露戦争における狛江村からの従軍者は69名おり、そのうち戦没者は6名、傷痍者は2名でした。戦後、狛江村恤兵会は「日露戦役紀念碑」を狛江尋常高等小学校内に建て、また、戦没者の遺族は、国のために尽した村の誇りとして戦没者の墓碑を建て、その功績を刻みました。
明治時代以降も、狛江村は畑地の多い農村であり、米や麦の他に果樹蔬菜の栽培、養蚕、また多摩川での漁業が副業でした。そんな狛江村にとって、昭和2年(1927年)の小田急線開通は大きな出来事でした。明治・大正生まれの古老からの聞き取り調査で、小田急線に話が及ぶと、多くの人が開通の年を覚えていたくらいです。
しかし、村の人口推移を見ると、小田急線開通後の数年は増加したものの、その後はほぼ純増で、郊外住宅都市等としての発展はまだ見られませんでした。狛江が住宅都市へと変化していくのは、戦後の高度経済成長期になります。
日中戦争終結の見通しがつかず、太平洋戦争が開戦すると、戦局は悪化していき、狛江村からも多くの若者が出征していきました。また、銃後の負担もおおきくなり、狛江村に移転してきた軍事工場では、学生や女性たちが働き手となりました。そして、昭和20年(1945年)5月25日には、狛江村も空襲を受け、村の唯一の学校であった狛江国民学校(狛江尋常高等小学校)が焼失しました。
この戦争によって、狛江村の多くの方々が命を落としました。昭和55年(1980年)、二度と悲惨な戦争が繰り返されることのないよう、戦没者遺族会が中心となって、戦没者を追悼し平和を祈念する慰霊塔が西河原公園に建てられました。
(狛江市資料提供)
狛江市の世帯数・人口
狛江市の総世帯数と男女別の人口を町丁別にまとめました。各ポスティング業者は、町丁別の配布予定数をこの総世帯数をもとに算出している場合が多いため、ご希望のポスティングエリアでの配布枚数の目安として活用してください。
令和6年9月1日現在
出典:狛江市役所ホームページ
町丁名 | 総世帯数 | 男性人口 | 女性人口 | 人口総数 |
---|---|---|---|---|
和泉本町1丁目 | 3,082 | 2,901 | 3,325 | 6,226 |
和泉本町2丁目 | 755 | 762 | 831 | 1,593 |
和泉本町3丁目 | 1,233 | 1,306 | 1,355 | 2,661 |
和泉本町4丁目 | 2,071 | 1,395 | 1,804 | 3,199 |
中和泉1丁目 | 1,149 | 977 | 1,055 | 2,032 |
中和泉2丁目 | 977 | 972 | 944 | 1,916 |
中和泉3丁目 | 1,512 | 1,435 | 1,472 | 2,907 |
中和泉4丁目 | 711 | 742 | 768 | 1,510 |
中和泉5丁目 | 1,989 | 1,910 | 1,962 | 3,872 |
西和泉1丁目 | 780 | 535 | 516 | 1,051 |
西和泉2丁目 | 12 | 13 | 8 | 21 |
元和泉1丁目 | 752 | 553 | 649 | 1,202 |
元和泉2丁目 | 781 | 678 | 762 | 1,440 |
元和泉3丁目 | 537 | 402 | 428 | 830 |
東和泉1丁目 | 2,117 | 1,485 | 1,779 | 3,264 |
東和泉2丁目 | 892 | 643 | 790 | 1,433 |
東和泉3丁目 | 950 | 773 | 868 | 1,641 |
東和泉4丁目 | 437 | 310 | 314 | 624 |
猪方1丁目 | 569 | 534 | 513 | 1,047 |
猪方2丁目 | 758 | 810 | 779 | 1,589 |
猪方3丁目 | 1,444 | 1,327 | 1,360 | 2,687 |
猪方4丁目 | 642 | 612 | 624 | 1,236 |
駒井町1丁目 | 809 | 796 | 833 | 1,629 |
駒井町2丁目 | 580 | 668 | 688 | 1,356 |
駒井町3丁目 | 759 | 830 | 798 | 1,628 |
岩戸南1丁目 | 1,269 | 1,205 | 1,284 | 2,489 |
岩戸南2丁目 | 1,255 | 1,122 | 1,177 | 2,299 |
岩戸南3丁目 | 1,384 | 1,340 | 1,388 | 2,728 |
岩戸南4丁目 | 823 | 929 | 945 | 1,874 |
岩戸北1丁目 | 985 | 924 | 1,010 | 1,934 |
岩戸北2丁目 | 1,019 | 1,022 | 1,135 | 2,157 |
岩戸北3丁目 | 1,761 | 1,380 | 1,575 | 2,955 |
岩戸北4丁目 | 1,134 | 853 | 904 | 1,757 |
東野川1丁目 | 1,029 | 987 | 1,008 | 1,995 |
東野川2丁目 | 711 | 815 | 825 | 1,640 |
東野川3丁目 | 1,209 | 1,248 | 1,338 | 2,586 |
東野川4丁目 | 939 | 1,013 | 997 | 2,010 |
西野川1丁目 | 916 | 877 | 958 | 1,835 |
西野川2丁目 | 743 | 778 | 859 | 1,637 |
西野川3丁目 | 372 | 370 | 427 | 797 |
西野川4丁目 | 1,395 | 1,426 | 1,405 | 2,831 |
総数 | 43,242 | 39,658 | 42,460 | 82,118 |
狛江市の統計データ
国勢調査などの集計データをもとに、狛江市に関する世代別人口や事業者数、年収別の世帯数、住居別の世帯数、面積や人口密度などを掲載しています。狛江市でポスティングを検討している場合には、用途や目的に合わせて、これらの統計データを参考にしてください。
平成27年10月1日現在
出典:国勢調査
狛江市の世帯数・人口(単位:戸数、人)
種別 | 世帯数 | 男性 | 女性 |
---|---|---|---|
住民登録人口 | 38,509 | 39,095 | 40,221 |
うち日本人 | 38,085 | 38,783 | 39,869 |
うち外国人 | 424 | 312 | 352 |
狛江市の年収別世帯数(単位:戸数)
年収額 | 400万円以下 | 400万~1000万 | 1000万以上 |
---|---|---|---|
世帯数 | 19,025 | 16,009 | 3,300 |
狛江市の男女・世代別人口(単位:人)
年齢区別 | 総数 | 男性 | 女性 |
---|---|---|---|
0~4歳 | 2,778 | 1,425 | 1,353 |
5~9歳 | 2,854 | 1,457 | 1,397 |
10~14歳 | 2,944 | 1,493 | 1,451 |
15~19歳 | 3,361 | 1,689 | 1,672 |
20~24歳 | 5,060 | 2,639 | 2,421 |
25~29歳 | 5,836 | 2,949 | 2,886 |
30~34歳 | 6,090 | 3,131 | 2,959 |
35~39歳 | 6,651 | 3,351 | 3,300 |
40~44歳 | 6,409 | 3,279 | 3,129 |
45~49歳 | 5,316 | 2,835 | 2,481 |
50~54歳 | 4,414 | 2,243 | 2,171 |
55~59歳 | 4,335 | 2,199 | 2,137 |
60~64歳 | 5,350 | 2,625 | 2,725 |
65~69歳 | 4,770 | 2,122 | 2,648 |
70~74歳 | 4,302 | 1,928 | 2,374 |
75~79歳 | 3,736 | 1,625 | 2,111 |
80~84歳 | 2,434 | 983 | 1,450 |
85歳以上 | 1,865 | 613 | 1,252 |
狛江市の昼間・夜間人口(単位:人、%)
人口 | 総人口 | % | |
---|---|---|---|
昼間人口 | 58,983 | 79,316 | 74.36% |
夜間人口 | 78,751 | 79,316 | 99.29% |
狛江市の世代別単身世帯(単位:人、戸数、%)
年齢区別 | 人数 | 単身世帯 | % |
---|---|---|---|
15~19歳 | 3,361 | 472 | 2.56% |
20~24歳 | 5,060 | 2,314 | 12.57% |
25~29歳 | 5,836 | 2,889 | 15.70% |
30~34歳 | 6,090 | 2,012 | 10.93% |
35~39歳 | 6,651 | 1,682 | 9.14% |
40~44歳 | 6,409 | 1,365 | 7.42% |
45~49歳 | 5,316 | 1,040 | 5.65% |
50~54歳 | 4,414 | 792 | 4.30% |
55~59歳 | 4,335 | 818 | 4.44% |
60~64歳 | 5,350 | 1,056 | 5.74% |
65~69歳 | 4,770 | 943 | 5.12% |
70~74歳 | 4,302 | 879 | 4.78% |
75~79歳 | 3,736 | 936 | 5.09% |
80~84歳 | 2,434 | 698 | 3.79% |
85歳以上 | 1,865 | 507 | 2.75% |
合計 | 69,929 | 18,403 | 100.00% |
狛江市の事業者数(単位:事業所)
種別 | 全産業 | 小売業 | 飲食店・飲食小売 |
---|---|---|---|
事業所数 | 2,268 | 397 | 392 |
狛江市の住居別世帯数(単位:戸数)
種別 | 一戸建て | 集合住宅 | 事業所 |
---|---|---|---|
世帯及び事業所数 | 12,679 | 50,562 | 2,137 |
狛江市の空家状況(単位:戸数、%)
空き家総数 | 総世帯数 | % | |
---|---|---|---|
空家数 | 5,130 | 38,509 | 13.32% |
狛江市の面積と人口密度
面積(km²) | 人口密度(km²あたり人口) | |
---|---|---|
面積と人口密度 | 6.38 | 12,441.73 |
狛江市の総世帯数に対する一戸建持ち世帯数の数値と割合(単位:戸数、%)
種別 | 世帯数 | 総世帯数 | % |
---|---|---|---|
一戸建持ち世帯数 | 12,129 | 38,509 | 31.50% |
共同住宅持ち世帯数 | 5,681 | 38,509 | 14.75% |
狛江市で居住が20年以上人口と割合(単位:人、%)
居住が20年以上人口 | 総人口 | % | |
---|---|---|---|
人口と割合 | 18,414 | 39,095 | 47.10% |
狛江市の1ポストあたりの平均面積
面積(km²) | 総世帯数 | 面積/総ポスト数(km²) | |
---|---|---|---|
1ポストあたり平均面積 | 6.38 | 38,509 | 0.166 |
狛江市の乗降客数
狛江市内を走っている様々な鉄道について、各駅の乗降者数をまとめました。狛江市でポスティングを検討している場合には、用途や目的に合わせて、これらの統計データを参考にしてください。
平成27年度
出典:国土交通省
小田急電鉄(小田原線)
駅名 | 乗降客数 |
---|---|
狛江 | 44,947 |
和泉多摩川 | 15,398 |